2012年10月22日月曜日

血の呪縛

twitterに流したけど言葉足らずだったし、自分の頭を整理する意味で
佐野氏は、「血(ルーツ)」こそがひとの生き様を支配する、という人間観を持っている。←それはそれで正しい。ただ、血の呪縛から逃れようと必至で足掻いている人を絶望に落とす人間観でもある。 / “週刊朝日は謝罪すべきではなかったし、連載を続…”  
雑誌を読んだわけでもなく、佐野氏の本を過去一度も読んだことがないのに感想を述べるのも何かと思ったのだが。。。
「血(ルーツ)」こそがひとの生き様を支配する、という人間観は自分は同意できる。
その人の人となりを理解するにはどのような環境で育ったかは、当人がいくら否定しても少なからず影響を与えている。本人が吐き気をもよおすほど嫌いな人間を父親にもち(オレはあんな人間にだけはならん!)と心に誓い、生きたとしてもだ。それは経験したものにしか分からない。
だから手法として出自を明らかにし、父母の人格、成長する過程で影響を受けた人々(友人、恩師)などを通して当人を語るのは正しい。だから同和問題にすりかえられて導入部分で連載中止は理解できない。育った場所の影響もなきにしもあらずなのだが、一番影響を与えるのはやはり「血」だと思う。
「親は親、子は子」という考え方もあるが「蛙の子は蛙」という言葉もある。
(オレはあんな人間にだけはならん! そしてそう生きてきた。「親は親、子は子」)という考え方は、ある意味「傲慢な」考え方だ。そして自身に反吐が出そうなほど嫌っていた人間と同じ部分を見たとき、絶望する。本当に絶望する。いくら足掻いても血の呪縛から逃れられないのかと。

「血の呪縛」から逃れるたったひとつの方法――それは、新しい「血の呪縛」を受けること。
イエス・キリストの十字架の血を浴びること。自分にとってはそれだった。
それでも古い「血の呪縛」がむくりと起き上がる。そこから逃れるために再度、キリストの血を浴びる。キリストの血を浴びなければ、とうの昔に死んでいた。

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