2012年3月4日日曜日

マクルーハン理論と電子書籍

どうして紙にプリントアウトした方が圧倒的に間違いに気付きやすいのか - Togetter
どうしてプリントアウトした紙を見るまでこの間違いに気付かないんだろ?・・紙に出力した方が圧倒的に間違いに気付きやすいのはなぜなのか・・この問題には、ペーパレスを革命的に推進する何か重要なファクターが潜んでいるものと思われるがそれが何だかわからない。
に様々なレスが寄せられたが、最初この質問を見たとき浮かんだのが30年前にちょこっと読んだマクルーハン理論。詳細は忘れてしまったため的外れなコメントをtwitterに流してしまった。

ちなみにマクルーハンとは社会科学の3M(スリーエム)と呼ばれる人物で、マルクス、マルクーゼ、マクルーハン。マルクスもマルクーゼも読まなかったが、マクルーハンの『メディアの法則』だけは一読した記憶がある。マクルーハンを日本に紹介したのはあの竹村健一氏である。自分は竹村健一氏のフィルターを通してマクルーハンを読んだためか、(ちと無理があるな)と思い、当時は受け入れられなかったのだが、今回、matsunaga氏の
透過光と反射光の違いについては、こちらを参照→「反射光の電子ブック」という革命的に新しいメディア
を通して思い出すことができた。以下はコピペのメモ書き。



「透過光」がもたらす「距離埋没効果」

透過光による表示は、反射光の表示に比べて現前性が高く、利用者の身体とスクリーンとの間に横たわる十数センチ~数十七ンチという距離を埋めてくれる。
透過光が強い現前性をもたらすことは、マクルーハンも『メディアの法則』[★125]で指摘している。マクルーハンは、映画の観客を二分して、一方には普通の映画と同じように反射光によって、もう一方には透過光によって同じ映画を鑑賞させるというハーバート・クルーグマンの実験を取り上げている。反射光のグループの感想は、映画を物語や技術に注目して理性的に分析し、批判する傾向が優位を占めたのに対して、透過光のグループでは、好き嫌いという情緒的で、主観的な反応が優位を占めた。

 反射光の映画において観客は、スクリーンと身体との物理的な距離を保ったまま、対象としてスクリーン上を見ている。この距離が映像を対象化し、観客に分析的で批判的な見方を与える。一方、透過光のテレビでは、スクリーンを越えて到達する光に視聴者が深く差し込まれてしまうので、映像は実際のスクリーン面から離れて、観客の目や身体を擬似的なスクリーンにして現前する[★126]。このように透過光の場合、観客は対象とうまく距離をとれず、場合によっては対象と位置的に重なってしまうことが、観客に情緒的、主観的な見方を与えるといえるだろう。

 ところで、パソコンのスクリーンを眺めていても発見できない誤字脱字が、プリントアウトすると容易に見つかるという経験は、誰もが一度はあるのではないだろうか。これも「反射光と透過光」である程度説明ができる。スクリーンの透過光で文字を読んでいても見逃しがちな誤字脱字は、プリントアウトした紙の反射光で読むと、対象を分析的、批判的に捉えることができるので、より発見されやすいといえる[★127]。

電子書籍に対して否定的だった自分だが、
●電子書籍化が進む本当の理由(EJ第1341号)
を読んでから、環境問題だととらえるようになってきた。
 人口13億人だから、小学生の1学年だけでも全国で一千万人ほどもいる。就学していない子どもたちもいるから概算で小中学生は1億2千万人とされ、日本の総人口に匹敵する。これらの小中学生に教科書を、各教科ごとに与えていたら、またそれより高学年の学生生徒に紙の教科書を配っていたら、それだけでも紙資源が枯渇する。
マクルーハン理論に基づけば端末はiPadではなくkindleになる。しかし実際、中国で採用されているのはiPadのようだ。書き込みのできるPDFをkindle教科書にすれば問題は解決できるのだろうか?

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