2012年9月24日月曜日

最後の言葉

「先生」
 小谷は弱々しく久蔵を呼んだ。が、あとは声もなく涙ぐんだ。久蔵は小谷の手を両手でしっかりと握りしめ、
「頑張れよ、小谷」
 と、励ました。が、その自分の言葉に久蔵は愕然とした。今、まさに死のうとしている小谷にとって、最も必要としているのは、こんな言葉ではないはずだと思った。久蔵は文字通り命がけで生徒たちを愛して来た。しかし一体何を教えて来たのか。人生の一大事にあって、最も必要なことを、なぜこの一年間に、この小谷に教えて来なかったのか。そのことが、久蔵の胸を噛んだ。
 小谷の家を出るや否や、瀕死の小谷に対する愛と悔恨に、久蔵は激しく号泣した。まさに大地を叩かんばかりの嘆き方であった。
三浦綾子氏の「愛の鬼才-西村久蔵の歩んだ道」p129より
浅田次郎氏の「プリズンホテル」を1-4まで読了したので、そいつをメモろうかと思ったが止めた。今、読み始めたのが上記の本。
 「死」を想定して生きていない自分は主人公のように最期にかける言葉は、ああなってしまったろうなと思わされるし、また亡くなる方も「死」を意識しなければ似たようなものになるだろう。

 いまだ心に残るのが教会員だった陽一くん。15の時に天に召された。
自分が今の教会に転会してきた時はすでに片足を切断し頭髪はなく、末期症状で入院していた。それでも時折、礼拝に来られていた。
 彼に最初に会った時、思わず目をそらしたのを覚えている。

自分の全てが見透かされている。 そんな風に思わされた。

「透徹した目」とはあのような眼をいうのかもしれない。
神に見られている--そんな畏れがあった。
その畏れからなのか彼と言葉を交わした記憶はない。
何を語りかけてもウソになってしまう。。。そんな風に思っていた。

教会員のよく使う挨拶に「祈ってます」がある。
本当に祈ったのか、心のそこから祈ったのか、どれだけ祈ったのかと問われれば、「祈ってます」などと軽々しく言えない。当時もそう思っていた。

彼が天に召されたあと、牧師の前で号泣した。心のそこから祈れなかった自分が情けなくて。

そんな過去があったせいか、あいつの時は祈った。心のそこから祈った。でも最期にあいつにかけてあげた言葉は何だったのだろうか? 「また来週、来るよ」だったような気がする。あいつも陽一くんのように透徹した目をしていたが優しさで自分を包み込んでくれていた。「死」に対して備えのある人たちはあのような目になるのだろうか。

反面、親父ときたら平均寿命を過ぎてからガン発覚にもかかわらず、医者の「必ず治ります」の言葉を真に受けて「死」を考えることなく、最後の最後まで欲の皮が突っ張ったままだったw 身辺整理を何一つしていなかったから後始末が大変だった。ピンピンコロリというか亡くなる当日に容態が急変したから。本人は今でも自分が死んだことを実感できてないんじゃないかな? 最期に交わした言葉は電話で「苦しそうだな、こどもたちに替わるか?」だったと思う。

冷たい人間なのでしょう、何の悲しみもありませんでした。むしろ恨みを晴らせずに残念!の気持ちが今でも。最期だと分かっていたら

地獄に行きやがれぇ~!

と叫んでいたな、ウン^^

と、ここまで書いて結局、美しい生き方はどれだけ「死」と向かい合って生きているからなんだろうな、と思わされる。親父も向かい合っていれば家族と和解できたかもしれない。それは自分に置き換えても言える。

時計を戻して陽一くんとあいつに会えるとしたら「天国でまた会おうな」だと思う。

しかし、頑なに自分の考えを主張していた親父には、、、う~ん。。。

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